GM理数研  学びのレポート

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悪い結果を面白いと感じられるように④(大学入試後編)

こんにちは。名張市の学習塾GM理数研です。

前回の続き浪人編です。最初からご覧になりたい方はこちらから。

nabari-risuken.hatenablog.com

 

浪人生活スタート

 浪人生活がはじまります。1年あるということで改めて志望校を決めます。目指すは筑波大学です。一緒に浪人することになった友人(今でも交流があります)は「は!?何言ってんだ?」などと馬鹿にされますが、研究職志望であれば、このくらい出ないと難しいだろうとも思っていたので揺らぎません。無謀です。英語は偏差値は60前後はありましたが、数学は50あるかないか。生物は得意でしたが、それ以外の科目は高2からまともに授業すらありませんでしたので、ゼロからはじまります。また理系でしたが数ⅢCを履修しておらず、これもゼロからのスタートです。

浪人生活をするにあたって一つだけ決めたことがあります。

それは朝イチ予備校に行って、閉まる時間までいることです。

 

未履修科目に大苦戦

世界史、古文・漢文、化学、数ⅢCの勉強に大きく時間を取られます。特に化学と世界史でしょうか。最初のうちはほとんど伸びない。そのため得意だった生物の勉強にはほとんど手が回らず、生物は成績が低下していきます。

 

古文漢文が早い段階で武器に

代ゼミの授業が合っていたのか、比較的早い段階で古文漢文が武器になります。ほぼ満点取れるようになったのは非常に助かりました。しかしながら、数学、化学、世界史は伸びず模試の結果は絶望的です。チューターに筑波じゃないとダメなの?などと言われる始末です。それでもただコツコツと最初に決めたことを続けます。

マーク模試で8割、九大模試で偏差値70へ

秋のマーク模試では8割超え科目が増えてきます。世界史、化学もどうにかなりそうなところまで持ってこれました。記述では、難易度的には筑波に近いだろうということで受験した九大模試で偏差値70を超えます。当初の実力を考えれば飛躍的な進歩です。しかしながら、世界史、化学、数ⅢCにはかなり不安がありました。

 

センター試験本番の大失敗

全体で8割くらいは取れるかな。と臨んだ2回目のセンター試験。数ⅠAで少し失敗します。6割は死守しただろうということで、次だと切り替えますが、数学ⅡBの第一問、少し前にやった問題とそっくりです。が。。。絶対に解けるはずだとやり直してみますが、何度やっても解答欄にうまくはまりません。ようやくミスに気づいて解答欄を埋めた時点でほとんどの時間を使ってしまいます。第2問以降はほとんど記憶がありません。必死にやってきたつもりでしたが、やはり確かな実力はついていなかったのでしょう。

私大ほぼ全滅、筑波も当然

関西大学からはじまって、東京理科大学など関東のいくつか私大を受験します。幸先よく関大に合格します。後は、全部不合格でした。しかしながら関大合格はまだ化学が苦手だったので自分ではかなり驚きました。もちろん筑波もダメで後期日程宮崎大学を迎えます。関大合格していて、正直気持ちが入っていなかった部分があったせいか不合格となってしまいます。この時点では私はもう一年という思いもありました。

何故か父が初めて口を出し関西大学

出張族で家にいない父でしたので、進路のことはよく分かっていないはずですが、私が関西大学へ合格したことを聞くと、もう一年浪人なんかやめて、関西大に行け!あの関大やぞ!と母を説得しはじめます。しかし、母は実際大学のことは分かっておらず関大が関西の名門であることも知りません。そのためお金が払えないから絶対国立という考えは変わりません。ところがある時、母が私の机にあるボロボロになった英語の辞書を見つけます。それで考えを変えてくれたようです。

実はその関大進学となるきっかけとなった辞書は今も手元に置いています。

 

とはいえ、お金はどう工面する?

お金を払わなければいけません。この年、確かに幸い父の収入はありましたが、それまでに蓄積した借金諸々もあるので家計は火の車です。まずは、ばあちゃんが貯めていた年金と父のボーナスなどで入学金と前期分の授業料はどうにかなりましたが、この先はどうにもならないので奨学金もすぐに申請しました。本当に家を家をひっくり返して、お金を用意してくれたことには家族に感謝をしています。

 

2回目の大学受験、さらに失敗だらけでした。しかしながら、この経験で学問の入り口に立てたのではないかと思います。そして失敗は1人で受け止める必要もなく、身近な人が何か手を差し伸べてくれることもあることもある訳です。

 

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